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thinking + sinking

とりとめのない思考、または試行のアーカイブ。

ヘルメス的住み方

ヘルメスをアイコンとした論考が興味深かったのでまとめておく。
『境界の現象学』河野哲也著、筑摩選書)より。なお、同書は様々なものを内と外に区分する境界に着目、それを越える経験や現象から、流体の存在論について考察している。

■ ヘルメスとヘスティア

同書の第6章「都市とウィルダネス、天井も壁もない家」で、人間の住み方に関するエドワード・ケイシーの主張が紹介されている。それがヘスティア的住み方とヘルメス的住み方であり、これらは住み方の根本的な様態だという。

ヘルメスがギリシア神話に登場するオリュンポス十二神の一人であることは先に見たが、ヘスティアもまた同じくオリュンポス十二神に名を連ねる神の一人である。なお、神話関連のヘルメスについてはこっち。
nattama.hatenablog.com

さて、先にヘスティア的住み方について見ておくと、ヘスティアが「かまどの女神」であることから、それが象徴するのは家と家族的生活の中心である炉端であることが述べられている。さらに、家庭の延長上には国家があり、ヘスティアは国家統合の守護神でもある。そのため、古代ギリシアの家々や町の公会堂にはヘスティアを祀る祭壇が備えられていたとか。

その住み方は「佇み留まり宿ること」。「中心に家を持ち求心的で自己閉鎖的。中心から周辺へと向かう運動、内部の秩序の外部へと拡張する運動という方向性を持つ」という。さらに、かまどと同じく、上方へと開く垂直的方向性を持っているとか。天と地、精神性と身体性の二極化、閉鎖性と垂直性、階層性……云々。この垂直的方向性の辺りは、『塔の思想』に通じる気がする。

そして、ヘルメス的住み方。これは当然、ヘスティアと対極である。「外に出る住み方、境界の外へと移動する経験に結びつ」くものであり、この辺りが同書の主題でもある。住み方の様態としては放浪。移住しながら一箇所にとどまらない。多様さを持ち、「中心を持たず、あらゆる場所が周辺的である」。さらに、ケイシーからの引用があるが、面白いので孫引きー。

ヘルメスが現れるところでは、同心円的=共ー中心的(con-centric)なものは、離心的=常軌を外れた(ec-centric)ものへと変わる

ヘスティアは既存の意味に安寧を得る

さらに、ヘスティア的とヘルメス的の対比は、時間性と空間性の配分の違いとしても説明される。

ヘスティア的住み方では、変化や成長は時間と結びつく。つまり、蓄積され、その蓄積が意味あるものとなる。そして、積み重ねられた経験や知識は空間性を切り離し、時間と歴史に結びつく。さらに、これに精神まで付け加わって同一視される。だからこそ、国家は歴史を好むわけだ。

この辺りの歴史や国家に絡む話が第7章「家のないこと」にも述べられていたので、加えて書いておく。

ヘスティア的住み方は、集団のなかに住まうことで自己を意味づけし、その場で「仕事」をして、自分よりも命を長らえる何かの一部に溶け込もうとする。自分の寿命を超えて、長らえる国家と共同体に身を任せて、不死になろうとする。私たちは何かの一部として自分を意味づけることによって、個体としての死を忘却しようとする。

これは多分、まんま想像の共同体。「自己を意味づけ」とあったが、意味あるものとは、「関連性のもとに置かれ」「文脈の中に位置づけられること」。そして、すでにある意味の中で生活し、その関連の中に自己を埋め込むことで、ヘスティア的住み方では人生に意味が与えられる。

■ ヘルメスは無意味性から新奇へと至る

これに対して、ヘルメス的住み方では、経験と知識は局所的なものとされる。移り住んだ先で役立つかは分からないから、同じ場所で得られるアイデンティティ、歴史や文化は重んじられない。そのため、ポータブル、転調・交換可能なものが貴重であり、重くて動かないものは死物、と。うーん、身軽な感じでいいなー。

そして、意味という点で言えば、ヘルメスは無意味性に結びつく。
人はしばしば円環性・回帰性に安心を覚えるが、実際のところ、この宇宙に厳密な意味での円環はなく、何一つとして回帰するものはない。したがって、帰郷などの円環性を表すものが良しとされるのは、定住中心の価値観だから。むしろもっと長いスパンで歴史を見れば、人間はよりよい場所を求めて移動する存在であり、円環に心の拠り所を求めることも本当は必要ない。

無意味とは、「周囲との関連性を失い孤立し」たもの。そのため、相対的な位置づけを持たない絶対的なものだという。むしろ、このように周囲から独立しているからこそ、移動することができる。移動によって、人は古い場所や文脈から切断され、新しい環境に触れて新しい存在となる。そして、その独立した存在であること、無意味性と無根拠性、絶対性は、ヘスティアが忘却しようとするところの、死すべき個体であることに拠って立っている。

結局、この二つの住み方はどちらが正しいというわけでなく、相補的だとしていた。それでも、ヘルメス的住み方として扱われていた内容は面白かった。

その他、目に留まったのは、そのタイトルが典型的にヘスティア的住み方の思想だという、ハイデガーの『存在と時間』。以前、入門の新書に手を出して、読みかけたまま放置してあるなー。そのうち、うまくつながってきたらまた読んでみるか。さらに今回読み返してみて、思いのほか興味深かったのは日野啓三のくだりだ。これも今度読んでみようかな。